父への挽歌(10) 日誌 [肺ガンだった父の話題]
少し、父の部屋を片付けた。
書類など、すべてファイリングして置いてある。
覚悟して、整理してくれていたのだ。
書斎机の上には、日誌も置いてあった。
父が毎日、日誌を書いていたことは知っていた。
元気な頃、チラリと見せてもらったことがあったが、
まさしく「営業日誌」状態で、
毎日の天気と気温、
その日の出来事などが書いてあるだけだった。
「いろいろと、ここに書いてあるから」
と言われていて、見ても良かったのだが、
大して面白い内容でもなし、だから、覗くこともなかった。
もっと見ておけば良かったな。
2008年に入院生活を始めてからは
それが一層、細かくなり、
本日の担当看護師、体温、脈拍、血圧、
3食の内容、受けた治療、入院費の明細、来訪者と
病院の日誌顔負けの細かさだった。
2008年の日誌を読むと、
すまさなで「ごめんなさい!」と叫びたくなる。
私は、全然、見舞いに行っていなかった。
あの当時は、父はまだまだ元気で、
母も、病院へ通っていたのは、2日に一度ほどだったようだ。
日誌に
「ひょう母、来る」
という記述があるから、よくわかる。
で、
私はというと…週に1回ほど!
「ひょう、見舞いに来る。週刊誌と菓子を見舞いに受く」
「ひょう、見舞いに来る。19:00~19:45。
今日は仕事が早く終わってヒマだったからとのこと」
(声にならない悲鳴)
「今日は仕事が早く終わってヒマだったからとのこと」
あたしゃ、「ヒマ潰しに見舞いに来てる」と
思われていたのであろうか?!![]()
何回かの見舞いの後、こんな記述が。
「ひょう、見舞いに来る。週刊誌と握り飯を受く。
見舞いは同居人が一番」
ここだけ、赤ボールペンで書かれた文字。
どういう意味か、不思議だった。
普通、書くなら、
「見舞いは家族が一番」「見舞いは子供が一番」
って書かないかな?
父は、私のことを「同居人」と言ったことはない。
誰かから聞いた言葉なのだろう。
そして、2011年には、この記述が何度も出てくる。
「一日中、痛みと共に」
本当に何度も何度も、書いてあった。
「一日中、痛みと共に」
「今日はあまり痛まず」
「一日中、痛みと共に」
「一日中、痛みと共に」
「一日中、痛みと共に。
ひょうより、運動不足による腰痛ではないかという指摘あり。
明日、××医院へ行ってこよう」
こ、こんなひどいことを言っていたのか…。![]()
この頃(4月)から、日誌がとぎれとぎれになってゆく。
「一日中、痛みと共に。
ひょう母とひょうに、庭の草取りを依頼。もうできない」
「一日中、痛みと共に。
金婚式(11月)までは持たないだろう」
日誌は6月17日付で終わっている。
「××病院 AM9」
父はそのまま入院、還らぬ人となった。
日誌を読んでいると、
ああ、あの時、あんなことを思っていたのか、
ああ、あの時、こうして欲しかったのか、と
考えさせられることばかり。
最後の看護の時も思ったけど、後悔することばかりだ。
一昨日は、東日本大震災発生から5ヶ月、
昨日は、日航ジャンボ機墜落から26年ということで
亡くなった人を追悼する番組がたくさん流れた。
じゅうぶんに手を尽くした(つもりの)看護の後でも
亡くなれば、これほど後悔が募るのだから
いきなり、事故や震災で愛する人を奪われた痛みは
どれほど深く重く、苦しいものだろう。
そんな痛みが癒されることが、あるのだろうか?
薄れはしても、癒されたり、消えたりはしないだろう。
誠にずうずうしい話だが、
東日本大震災の被災者へのエールを見聞きすると
自分が励まされるようで、救われる。
京都の大文字の話は、残念だったが…。
四十九日まで、あと10日ほどとなり、
それが明けたら、もう普通の生活に戻るのだろうが、
でも、それからもずっと、
グチグチと書きそうな気がする。








同居人・・・同じ子供でもやはり一緒に暮らしている方がほしいものに
気がついてくれる。
そんな意味にとれました。
なくなってしまった人に対しては、どんなに尽くしても十分とは思え
ないようです。
私もブログにアップしましたが、母は父が亡くなった後の解剖をいまだに
してあげれば、お父さんが本当はどこが悪かったのかわかってあげられ
たかもしれないと、今も悔いています。
親不孝者の私から比べたら、ひょうさんはあの激務の中頑張ってらしたと
頭が下がります。
それでも、父の思い出を楽しいものにしようと、みんな父の話は笑って
するように心がけています。
ひょうさんもおとうさんとの楽しかった思い出をたくさん家族としてくださいね。
by 水紀 (2011-08-14 01:25)
> みんな父の話は笑ってするように心がけています。
涙が出ました。
そうですね、本当に後悔すればきりがないし、
明るく偲んでさしあげることが一番の供養になりますね。
by ひょう (2011-08-14 02:05)
こんばんは。
私はまだ親を送る立場になったことがないのですけど、仕事ですごく世話になった人が10年くらい前に亡くなって、その時に誰かに言われたんだったか、本で読んだんだったか、「その人のことをたまに思い出す」ってのをやります。
仕事で何か行き詰まった時とか、その人に励まされたことをふと思い出して自分にカツ入れます。何か前向きな気持ちになれる時に思い出せばいいかなあと思って。自己満足ですけどね。
看護師さんへの感謝の気持ちを忘れなかったお父様だから、ひょうさんにずっと感謝しておられたと思いますね。
by しまうま (2011-08-14 02:10)
しまうまさん、コメントありがとうございます。
考えれば、私、親に限らず、
ものすごく親しい人に死なれたのって
これが初めてなんですよね。
みんな、こういう悲しみを乗り越えてきたんだなあ、って
思うと、みんな偉いと思います…。
by ひょう (2011-08-14 02:42)
あのころを思い出すと、私がどうしているのが
安らかでいられるかしらって思いつつ
過ごしていたような・・・
結構、明るくしていましたよ。
父も日誌を書いていました。
90歳で亡くなる2週間前まで・・・
その日誌は私が持っているものですから、
時々読み返すことがあります。
by hiroko (2011-08-14 11:56)
hirokoさんも、急なことで
さぞや苦しかったことでしょう。
いま、お元気にされているところをご主人がご覧になったら
さぞや嬉しく思われると思います。
日誌、悪くないですね。
私はネットを始めるようになって、書かなくなってしまいました。
また書こうかな…。
誰も読んでくれないだろうけど。
by ひょう (2011-08-14 21:03)
お父さまは星になってしまわれたのですね。
母が旅だってから、しばらくは夜空に瞬く星を眺めては
涙したものでした。
今では、見守ってくれている・・などと思うようになっています。
そして折に触れて思い出して故人のことを偲ぶことが
供養になるのではないでしょうか。
ひょうさん 元気で過ごしてくださいね。
by okaru (2011-08-20 22:38)
okaruさん、コメントありがとうございます。
本当に…おっしゃるとおりです。
心に染み入ります。
by ひょう (2011-08-21 20:32)